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2017_0609_121146 大仏跡

写真: 2017_0609_121146 大仏跡

写真: 2017_0609_121256 君臣豊楽 国家安康 写真: 2017_0609_120925 方広寺

秀吉が建てさせた大仏ですが
最近の発掘調査でここにあった大仏と大仏殿の規模が実証されました。

大規模土木工事好きの秀吉だけあって奈良の東大寺の大仏を凌ぐものだったそうですが
秀吉が造らせた最初の大仏(木造)は建立直後に大仏殿を残して地震で倒壊。
二代目の大仏は遺志を継いだ秀頼が今度は銅で造らせたところ、
鋳造の途中で鋳型から溶けた銅がこぼれて元あった大仏殿まで全焼。
すぐに三代目の再建が着手され今回は徳川家康も入って造営が進められましたが
落慶法要直前に鐘銘事件が起きます。
この三代目も地震で破損し、木造で再建されましたがこれも落雷で大仏殿ごと全焼します。
四代目は江戸中期に木造で大仏の上半分が再現され、仮の仏殿も造られましたが
比較的最近の昭和48年に失火で全焼しています。

ずっと安定したイメージのある「奈良のだいぶっつぁん」
に比べるとこちらは波乱万丈というか、あまりうまくいってない感がありますね。

東大寺より政治的な背景につよく晒されているというのもありそうですが、
何より奈良の大仏より3割方大きいところに、耐震性不足とか落雷しやすいとか
技術的な限界があったようにも見えます。
今まで生き残っていたら鉄骨で内部耐震補強とか避雷針設置とか救える手はいくらでも・・・

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コメント (5)

  • みなみたっち

    わっ、ここは知りませんでした。('◇')ゞ

    2017年6月10日 08:46 みなみたっち (77)

  • キューチャン

    みなみたっちさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    ここは豊国神社の裏というか東側の、一応「緑地」となっていますが、まぁ言えば「空き地」です。
    発掘調査の説明の看板にはここから八角形の基壇の一部も出てきたとあり、大仏殿の他の柱の予想位置も書かれていました。この周辺の民家は軒並み大仏殿の柱の礎石の上に建ってるみたいですね。(^.^)
    今の方広寺の境内とも繋がってなくて特に案内もされてないので気付きにくいと思いますが、方広寺の東にある駐車場と豊国神社の柵の間の人ひとり通れるほどの路地を抜けると直接行けますよ。東大路通りに抜ける近道でもあります。
    是非にというほどでもないですが方広寺や豊国神社から簡単に行ける場所なので憶えておられたら寄ってみてくださいね。

    2017年6月10日 21:35 キューチャン (36)

  • キューチャン

    がんちゃんさん
    ☆ありがとうございます。

    2017年6月10日 21:37 キューチャン (36)

  • キューチャン

    写素人さん
    ☆ありがとうございます。

    2017年6月10日 21:38 キューチャン (36)

  • キューチャン

    中古のふさん
    ☆ありがとうございます。

    2019年12月13日 23:33 キューチャン (36)

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